ここしばらく。
ほんの3か月ほど。
いや。なんてことはないのだが。
疲れている自分がいる。
気持ちが入らない。
億劫で面倒だ。
5月病か、はたまたウツか。
(5月病<ウツ。だなきっと)
夏ごろには改善しとるのだろうか。
やれやれ。
と、記録しておく。
後で見返して、やっぱりウツだったかと笑いたい。
(根が関西人。笑)
2011年5月17日火曜日
2011年4月5日火曜日
放射線というもの
専門家ではないが放射線というのは、熱くない熱線のようなものと昔に学んだ記憶がある。
いうなれば、日焼けみたいなものと考えれば理解しやすい。
日常でさらされる放射線は、月光のように微弱で人体に影響を与えることはほとんどない。
多少つよくても、1年間で影響のないレベルであれば、たしかに影響はないかもしれない。
つまり、たとえば毎日太陽にあたっているような状態を1年つづけても、問題ないレベルの熱線量であっても
その1年間に浴びる太陽の熱線の総量を1時間で浴びた場合には、常識で考えれば「丸焼き」であろうかと想像される。
マスコミには、その辺の事業者が表に出さないような微妙なところを、裏づけと想像力で報じてもらいたいものだと思う。
だれかが言ったことを右から左へ流すだけなら、Twitterで十分。
いうなれば、日焼けみたいなものと考えれば理解しやすい。
日常でさらされる放射線は、月光のように微弱で人体に影響を与えることはほとんどない。
多少つよくても、1年間で影響のないレベルであれば、たしかに影響はないかもしれない。
つまり、たとえば毎日太陽にあたっているような状態を1年つづけても、問題ないレベルの熱線量であっても
その1年間に浴びる太陽の熱線の総量を1時間で浴びた場合には、常識で考えれば「丸焼き」であろうかと想像される。
マスコミには、その辺の事業者が表に出さないような微妙なところを、裏づけと想像力で報じてもらいたいものだと思う。
だれかが言ったことを右から左へ流すだけなら、Twitterで十分。
2011年3月7日月曜日
2011年3月6日日曜日
2011年3月5日土曜日
2011年3月3日木曜日
2011年3月1日火曜日
2011年2月19日土曜日
「死」という価値
世間では、「死」というものが正しく認識されていないのではと思う。
「生死」の認識は、たとえてみれば、「生」とはデータでの「"1"」という数値であるとすれば、死を表すのは「""」(空文字)ではないのだろうか。
それは値が存在しないことなので、価値そのものを認めていないような気がする。
そうではなく、ひょっとしたら死というものは数字で言うところの「"0"」なのではないかと思っている。
存在そのものであり、物質的なものである「正数」に対して、概念的であり、精神的なものである「負数」を理解するためには、橋渡しする「原点」、「基点」である「0」がきちんと理解できなければ、存在しないのではないだろうか。
それと同じように、「死」が理解できなければ「死後」もまた理解できないのではないだろうか。
それゆえ、「存在」そのものにのみ価値を置き「死んでいること」に対して、なんら価値を見出せない状態で、「死」を理解できない文明は「死後」も理解することができないのではないだろうか。
そしてそれこそが「生きること」の意味を見失わせてはいないだろうか。
われわれがこうして「生きていること」が、「死んだもの」「死んでいるもの」と密接につながっていることが理解できたなら、人は新しいステップに立てるのではと感じる。
「生死」の認識は、たとえてみれば、「生」とはデータでの「"1"」という数値であるとすれば、死を表すのは「""」(空文字)ではないのだろうか。
それは値が存在しないことなので、価値そのものを認めていないような気がする。
そうではなく、ひょっとしたら死というものは数字で言うところの「"0"」なのではないかと思っている。
存在そのものであり、物質的なものである「正数」に対して、概念的であり、精神的なものである「負数」を理解するためには、橋渡しする「原点」、「基点」である「0」がきちんと理解できなければ、存在しないのではないだろうか。
それと同じように、「死」が理解できなければ「死後」もまた理解できないのではないだろうか。
それゆえ、「存在」そのものにのみ価値を置き「死んでいること」に対して、なんら価値を見出せない状態で、「死」を理解できない文明は「死後」も理解することができないのではないだろうか。
そしてそれこそが「生きること」の意味を見失わせてはいないだろうか。
われわれがこうして「生きていること」が、「死んだもの」「死んでいるもの」と密接につながっていることが理解できたなら、人は新しいステップに立てるのではと感じる。
2011年2月14日月曜日
2011年2月11日金曜日
2011年2月3日木曜日
2011年1月25日火曜日
時間
人間の体は滅びへと変化する物質であるがゆえに、時間は存在し、感じることが出来るのである。魂には滅びる肉体がないゆえに、時間は影響を与えないのである。
だから魂は経験を積むために、現世に生を受けるのである。
ほんまか〜。自分で書いてて驚いた。
だから魂は経験を積むために、現世に生を受けるのである。
ほんまか〜。自分で書いてて驚いた。
2011年1月23日日曜日
2011年1月20日木曜日
2011年1月3日月曜日
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